群れじゃなくて、1対1の集合。
ある人のSubstackを読んだ。
「Substackでも、群れずに、群れたい」というタイトルだった。
書き手は、Substackの購読欄を「自分の本棚」だと言っていた。
他の発信者の本棚を覗いて、じぶんの本棚も整える。
そうやって、群れに入りすぎず、でも完全には離れない距離をつくる、という話だった。
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僕は、しばらく考えた。
僕にとっての影響源は、どこにあるか。
他の発信者の本棚なのか、それとも、別の場所なのか。
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他の発信者は、読んでいる。
日々、相棒と「バズり記事研究会」というのをやっていて、目についた記事を一緒に読み解く時間がある。
ただ、それは影響を受けるためじゃない。
ネタストックや行動ストックに、素材として落とすためだ。
「これは、僕も書きたいな」「これは、僕とは違う場所だな」と、仕分けるための時間だ。
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じゃあ、僕の影響源はどこか。
これは、たぶん、圧倒的に、読者だとおもう。
メルマガに、ぽつりと返信が届く。
セミナーのアンケートに、感想が書いてある。
個別相談で、目の前に座った人が、こちらの話に反応する。
YouTubeに、コメントがつく。
そういう、ひとつひとつだ。
そういうひとつひとつが、僕にとって、いちばん大きな影響源になっている。
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理由はたぶん、シンプルで、僕がいま書いていることの「当事者のド真ん中」にいるからだ。
融資のことを書いているのは、毎月、社長と融資の話をしているからだ。
発信のことを書いているのは、毎日、何かを発信しているからだ。
習慣のことを書いているのは、毎日の生活を、地味に組み直しつづけているからだ。
書く内容と、毎日の現場が、ひとつにつながっている。
だから、読者からの反応が、いちばん近い場所からの応答になる。
他の発信者の文章は、たぶん、僕の現場とは別の場所から書かれている。
勉強や素材にはなる。
でも、僕の現場を動かすほどの影響源には、なりにくい。
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ただ、正直に、もうひとつ書いておく。
読者からの反応は、いつも豊富にあるわけじゃない。
「ときおりもらえる」くらいの感覚だ。
ぜんぜんエラそうに言える話じゃない。
それでも、その「ときおり」が、僕を立たせている。
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そしてここまで書いて、自分の中の、もう一段下の正直さにあたる。
僕は、密な関係をたくさん抱えるのは、消耗するタイプだ。
毎日連絡を取り合う、みたいな距離は、ちょっと、しんどい。
1対1の関係も、ゆるくムリなくがいい。
ただ、そのゆるい1対1を、もう少し多くの人と築けたらいいな、とはおもっている。
メール講座をはじめたのは、それも理由のひとつだった。
1対多のマス向け発信だけじゃなく、1対1に近い入口がほしかった。
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群れたいわけじゃない。
でも、ひとりで完結したいわけでもない。
毎日べったりでもなく、一度きりで終わるわけでもない。
ときどき、ことばが行き来する。
そのくらいの距離で、読者とつながっていたい。
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「群れずに、群れたい」と書いた発信者と、重なる部分は、たぶんある。
ただ、僕の場合は、群れというよりも、1対1の集合だ。
大きな輪の中に入りに行くんじゃなくて、小さな往復を、ひとつずつ増やしていく。それは、群れることより、ずっと地味で、時間のかかる方法かもしれない。
でも、いまの僕には、それがいちばん体に合っている。
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ゆるい1対1の、集合。
それが、僕の場所の作り方だ。



記事読ませていただきました!
僕も近い感覚があります。
人とのつながりは大切にしたいんですが、近すぎる距離感やグループ的なものに深く入るのは、少し苦手だったりします。
付かず離れずくらいの距離が、自分にはちょうど合っているのかもしれません。
同じような感覚を持っています。
しんどいと感じない付き合いがいいですね。